アーカイブ

カテゴリ

アニメ

漫画

映画

小説

その他

 

「ふたり」が変身するとき—―『魔法つかいプリキュア!』第1話

「息が合わない時もあるけど、手をつなげば勇気が湧いてくるわ。一人では無理でも二人ならできるって思える。だからプリキュアは二人なの!」                 『映画 ふたりはプリキュア Splash Star チクタク危機一髪!』

 周知のように、プリキュアシリーズは『ふたりはプリキュア』から始まった。プリキュアとして悪と戦う美墨なぎさと雪城ほのかを核に、正反対の性格の二人がかけがえのない親友同士になっていく姿を描いた傑作である。そのタイトルからもわかるように、この作品では「ふたり」という要素に特別な意味があった。従来の女の子向けアニメの王道から外れた黒と白のカラーが強い印象を残す二人という設定は、あらゆる点で常識破りだったプリキュアの代名詞だったのだ。世界観を一新した次回作『ふたりはプリキュア Splash Star』にもそれが受け継がれたことを考えると、いかに二人であることが重視されたかがわかる。しかし、二人であることを引き継いだ『Splash』は、皮肉にもその設定ゆえに偉大な初代を超える作品だとみなされることなく、商業的に前作より大きく落ち込んでしまう。

 

 結局、「ふたり」という設定の最大の難点は、物語の核となる「場」を作ることができないところにある。美墨なぎさと雪城ほのか、日向咲と美翔舞の二人が作るのは、一人と一人の友達関係であって、物語を動かす共同体ではない。そのため、初期三作品は4クールという長大な尺を動かすために、学校という「場」が必要不可欠であった。事実、これらの作品ではその後のシリーズ作では考えられないほど、クラスメイトの出番が多く、準主役ぐらいの地位を持っていると言ってよいほどである。そしてこうした特徴のため、「ふたり」という設定は「場」としての学校という設定を避けられなくなってしまう。つまり、作品ごとの差異を、メインとなる二人のキャラクターだけで生み出さなければならないわけだ。しかし、もともと性格が正反対の二人というルールがある程度ある以上、それほど性格にバリエーションを持たせることはできない。初代と『Splash』は、ファンが見れば世界観の違いは歴然であり、どちらも違う魅力を持った作品であった。しかし大多数の意見としては似たり寄ったりな作品という評価に落ち着いた。それは致し方ないことであり、傑作『Splash』が犯した一つの失敗だったと言える。

 

 こうして、「ふたり」という設定が完全に行き詰まり、岐路に立たされたシリーズから生まれたのが、『Yes!プリキュア5』だった。この作品は、「ふたり」という構成をスッパリ切り捨て、プリキュアを5人にするという大変革を行った。5人という構成が『セーラームーン』を思わせることに始まり、「初志を捨てた」とかなんとかそういう批判も当時は随分聞いた気もする。しかし、プリキュアの核となる部分を「ふたり」であることではなく、もう少し大きな視点で捉えることができたその発想が、10年を超えるプリキュアシリーズに礎となったと僕は思っている。結果としてプリキュアは華麗に復活を果たし、最新作『魔法つかいプリキュア』に至っている。

 

 長くなったが、これが「ふたり」変身を巡るプリキュアの前史である。これ以後、プリキュアにおいて完全に「ふたり」という設定は消滅した。たしかに、その後も二人変身紛いのものは何度かあったし、『スイートプリキュア♪』はかなり二人変身に近いことをやっていたが、結局プリキュアの人数は4人前後に落ち着くわけで、「場」を巡る方法論が根本的に初代や『Splash』と違っていた。こういう経緯もあって、僕のなかで二人変身という設定はいわばプリキュアが捨てた様式であり、初期三作を傑作たらしめた設定という認識でしかなかった。

 

 しかしここに来て『魔法つかいプリキュア!』が二人変身をやってのけた。二人同時にしか変身できないという設定は『スイート』以来、『スイート』が幼馴染同士の変身であったことを考えると、まったく付き合いのない二人での変身は『Splash』以来実に10年ぶりである。

 

 プリキュアシリーズの第1話は、ほぼ確実に主人公となるヒロインの変身を描くが、そこにはある種の黄金パターンのようなものがある。『Yes!プリキュア5』で大体整備された観のあるこの形式は、「妖精ないし誰かがピンチ→非力ながら少女が助けようとする→敵と対峙して絶体絶命→プリキュアとして覚醒」という形をとる。要するに、損得勘定抜きで誰かを守りたいと真摯に思う気持ちにプリキュアとしての資格を見出しているわけである。導入部として説明すべき設定も多い1話は、概してあまり要素を詰め込まず、一人目の変身を大きな山場にして、「誰かを守りたい」という倫理的側面を強調する、というのがセオリーなのだ。

 

 ところが、『魔法つかいプリキュア!』の第1話はこのパターンに必ずしも沿っていない。確かに朝比奈みらいとリコがピンチになる展開になり、リコがみらいを庇うシーンもきちんとあるが(この辺りが細かいところ)、プリキュア的正義が前面に出ているわけではなく、倫理的色が極めて薄い。これは、第1話を観ただけでは二人がなぜ変身できたのかイマイチはっきりしないという事実からも確認できるだろう。「誰かを守りたい」という性格を強く押す1話では、その精神自体が変身の理由となる。今回のプリキュアにはそれがなく、むしろ身の危険から不可避的に変身しているようにも見える。

 

 このように、異例づくめの1話だが、実は過去のプリキュアにも、倫理的側面があまり強調されず、むしろ生命の危険から変身する作品が一つ存在する。他ならぬ『ふたりはプリキュア』である。この作品でもなぎさとほのかは、特に理由もないまま、敵幹部ピーサードの危機から逃れようと変身する。言うまでもなく、初代プリキュアは二人変身の代名詞的プリキュアであり、それと似た構成を取った『魔法つかいプリキュア!』は現時点では予断を許さないものの、かつての初期プリキュア的プロットを選ぶ可能性が考えられる。

 

 しかし、それでは「場」としての学校のはどうなるのか。そもそも初代プリキュア的手法は、「場」となるものが学校で固定されてしまうから繰り返し使用できないことが問題だった。それを解決できない限り、かつて捨てた様式に戻ることは不可能である。

 

 それについて、これは仮設だが、1話でも登場した「魔法学校」が解決策となるかもしれない。作品紹介等をみていると、みらいはリコと共にどうも魔法学校に通うことになるようだ。「普通の中学生」という設定を重視してきたプリキュアにとって、これまでの学校描写を覆す大変革である。そして今までとまったく異なる学校は、「場」としての学校の単調さを覆すことができる。ファンタジー世界には、「場」としての要素が沢山あるだろうことは容易に想像がつく。

 

 その要素の多さは1話を観ていても十分伝わってくる。みらいとリコのキャラクター描写はもちろん必須要素だが、リコは非日常の存在であるからより説明は必要である。魔法についてもある程度説明を加えねばならず、それに関連した敵キャラの解説もいる。1話の時間軸が珍しく春休みに定められているのも、新学期を舞台にすることで生じる学校の描写などに極力尺を割かず、みらいとリコの二人に焦点を絞りたいという狙いがあるはずだ(魔法学校に通い始めるという後の展開の要請もあるだろうが)。

 

 話の種となる要素が多い作品は、往々にしてストーリーが錯綜して薄いものになってしまいがちだが、そこで二人変身のシンプルさが今度は強みになる。異世界が舞台となった場合、現実世界が舞台のときは何の説明もいらなかったことを全て説明していかなければならなくなる。そのとき、例えば『ドキドキ!プリキュア』のように核となるプリキュア同士の物語が複雑になっていると、そこに時間をとられてしまい、どっちつかずになりかねない。その点、みらいとリコの関係だけを土台としておけば、筋がこんがらがることもなく、尚且つ単調になりがちなストーリーはファンタジー世界という魅力的な要素が補ってくれることになる。

 

 プリキュアにおいて二人変身は、死んだ設定だと思っていた。しかし、13作目となるプリキュアがまったく新しい試みへと一歩踏み出すにあたって、二人変身はもう一度積極的な意味を持ち始めている。なにぶんまだ1話であるため、どういう展開になるかは未知数であり、正直プリキュアの数は増える確率の方が高いのだが、それでもOPの歌詞などを見るに、バラバラの二人が友情を育むストーリーを見ることができるかもしれず、興味は尽きない。

 

 プリキュアがプリキュアで在るために捨てた「ふたり」であることに、10年以上を経た今、プリキュアがプリキュアで在り続けるためにもう一度立ち返ろうとしている。なんともおかしな巡り合わせではないか。これはもうワクワクもんである。