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これは何の問題か? 『響け!ユーフォニアム』最終話

 http://blog.livedoor.jp/hisagoplan/archives/1032956013.html

 

 『ユーフォニアム』の演出について友人が珍しく語気を荒げて主張をしていた。成程と思わされた。どのあたりに意図があるのか個人的も考えあぐねていたのだが、落としどころとしてはそこになるだろうか。

 

 ただ、この友人の批判するところの、演奏シーンで他のキャラを映すことを拒む視聴者は主人公を主人公視しすぎているという点については、多少違うようにも感じていて、むしろ京アニが行ったこの演出こそが、この作品が根底で抱える主人公絶対視を露呈させているように見える。

 

 他校の連中を映すことが、久美子たちとの対比となり、またそれがコンサートという場を通して「勝者と敗者」というコントラストを為し、久美子たちの環境のかけがえなさみたいものが煌めく。それが演出の意図とするなら、久美子たちと他校という二項対立が要ということになる。しかし、この二項対立というのは、とても恣意的ではなかろうか。

 

 この演出の趣味の悪いところは、言ってしまえば他校の連中を踏み台に使っているところだ。彼女らは今までさほどの描写もなく、久美子たちの栄光の影となるべく、最終回への登場を要請された。一緒に頑張って全国行こうぜという共同体の夢を輝かせるための外部として必要とされたのだ。

 

 『ユーフォニアム』という作品が最初から外の連中を考慮したものだったのなら、別によいのだが、正直そこまでしていたとは言い難い、なにせ直前までは部を纏める話をしていたわけだから。結局、この演出というのは、最終回でコンテストという外の世界と向き合わなければならなかったとき、久美子たちの共同体の正当性を確かなものにするために意図的にひねり出されたわけだ。だから、久美子たちと他校の対立というのは、とても怪しいものだ。それはピッタリと綺麗な対立ではなく、まして主人公たちを相対化するものでもなく、主人公たちの絶対視から来る作為的なものであることは否めないだろう。

 

 もうお分かりかとは思うが、僕はこの演出が好きになれない。『ユーフォニアム』には基本批判的だったが、感情的に嫌いだという思いはそれほどなかった。だがここだけはどうも好きになれない。こういうことは敗者の側からして初めて意味があるように思う。この作品は理想系とリアル系の線引きが混乱する作品だったが、後半リアル路線に傾きがちだったストーリーを、最終的に理想系のラストに持って行くために導入されたのが、この部分だったのだと思っている。綺麗な対比にみえるが、こういうものは解体せねばならない。そこにはもう一つの主人公の絶対化が潜んでいるのだから。