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Answer to "answer" —『Fate/stay night UBW』

 昨日、今月何も書いていないことに気づいた。流石にマズい。『Fate』にするか『デュエルマスターズVSR』にするか迷ったのだが、ここは『Fate』にしておく。いや『デュエマ』はすごく面白いのだけれど。

 

 現在放送中の『Unlimited Blade Works』(以下『UBW』)は、客観的に考えて第2クールに見せ場が固まっているため、なかなか第1クールでどう、とは言えなかった。そこで「どれ」という気持ちもありつつ第2クールを観てみると、存外「再アニメ化」ということを考えているんだなと感じる。

 

 今更言うまでもないが、Fateは一度アニメ化されている。2010年の劇場版も入れれば二度である。だから、もう一度アニメ化する以上何か違うことをしないと、大義名分がないわけだ。第1シーズンを観ていると、単に尺に余裕が出て原作通りにできるようになったかぐらいに思っていたが、ここに来て様子が変わった。端的に言って、第2シーズンはかなり『Fate』を「変えて」いる。

 

 わかりやすいところでいえば、キャスターのマスターのエピソードの挿入や、イリヤ視点のパートの追加である。衛宮士郎視点をとった原作と異なり、俯瞰視点が可能なアニメであることを考えれば、やりやすいオリジナル要素だろう。だが、それはある意味些末な点である。単にオリジナル要素に留まるものだからだ。今、再アニメ化された『Fate』が見せた変化はその先にある。士郎VSアーチャー戦、いわゆる「answer」である。

 

 色々と感想をみていると、勢いがないとか戦闘をもっと頑張ってほしいというのをよく見かけた。確かに、ufo版では会話がメインになっており、劇場版のときと比べてかなり地味なのは否めない。元々派手さが売りであるこの場面を、こういう演出にしてしまうと文句がでるのはまあ仕方ないかなというところだ。ただそれでも、奈須きのこやスタッフがこういう演出をしたかったのはなんとなくわかる気が(勝手に)する。

 

 『UBW』は言ってしまえば、一番「主人公補正」がキツいルートである。一応の説明はされているが、ただの人間である士郎がアーチャーやギルガメッシュに勝ってしまうのはやはり無理がある。ゲームだと演出による勢いでけっこう誤魔化しているのだが、冷静に考えればおかしいものはおかしい。さて、そうした『UBW』の「問題」を踏まえてみると、ufo版はなぜ士郎がアーチャーを下すことができたのかということに、わりと納得のいく答えを示してくれている。物理的なことからいけば魔力切れの描写をきちんとしているとかなのだが、なにより大事なのは士郎がアーチャーを「論破」する一連の描写だろう。

 

 アーチャー戦が会話主体、と先ほど述べたが、これは大部分が「理想」についての士郎とアーチャーの議論に費やされているということだ。士郎の在り方を徹底的に解体し、その根源を探り、アーチャーは自分の始まりを再確認する。この部分が一番アニメオリジナルの演出が多い。積み重なる問答の結果、アーチャーは完全に「論破」され、士郎に対して負けを認める。だから、アーチャー戦において戦闘はあくまでサブにすぎず、戦力差は大して問題にはならない。心で負けてしまった者に勝つことはできないのだから。

 

 思い返してみれば、元の戦闘でも本当は「論破」こそが重要だった。士郎がアーチャーに戦闘で勝つというより、士郎の生き様をアーチャーが認めてしまうことが肝要なのだ。これは「剣製」の競い合いではなく、「生き様」の競い合いだった。とすると、今回のufo版はオリジナルの意図をより正確に再現したということになる。

 

 ここまで来ると、奈須きのこがやりたかったのは、そういうフォローだったのではないかと思いたくなる。『Fate』のような「いけいけ」の作品だと、メッセージ性より勢いが先行することがあるが(まあ案外その勢いでメッセージは伝わっているものだが)、10年も経ったのだからとそのままアニメにするよりそのあたりを丁寧にやりたい、そう思ったとしても不思議ではないし、その気持ちはわかるような気もする。

 

 「answer」周辺の処理は、非常に最近の奈須きのこらしい。具体的には『魔法使いの夜』っぽい。多少の無理をおしても、やりたいことをそのままアウトプットする、そういうやり方だ。『まほよ』は蒼崎青子の魔術師としての在り方という重いテーマを前面に出し、正直前半のゲームとしての勢いは悪かった。他にも『レッドドラゴン』における奈須きのこ担当キャラの背景の複雑さ、『月の珊瑚』における半ばストーリを無視したポエム志向の文章、などなど。長すぎる台詞によるテンポの悪化をものともせず、こういう演出に走った片鱗が随所に見られる。不動の地位を築いた奈須きのこだからこそ、こういう思い切ったこともできるのだろう。ただまあ、きのこマニアはついてくるだろうが、他がどうかというと怪しい気もする。

 

 僕はこういう演出は好きだ。ただ多分良くはないんだろうなという気もする。どんな場面でも大多数に訴えかけることは重要である。とりわけ『Fate』のような誰もが楽しめるタイプの作品で人を選ぶ演出をするのは難しい。十周年を超え、新時代を迎えた『Fate』。今再び、型月ファンたちの支配者(マスター)たり得るかを問われているのかもしれない。

 

おまけ

間桐慎二の描写はかなりハイコンテクストだと思いますね。