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ドラマ『黒猫の三角』

 『黒猫の三角』こんなに生々しい話だったかなと驚いた。遺産を狙ったり、愛人がいたりと、かなりドロドロしている。森作品の透明感からはかけ離れた雰囲気だ。そこで原作を読み直してみると、そういうシーンはきちんとある。あるのだ。とすると、注目すべきは森博嗣の語り方だろう。生々しいシーンを。そう感じさせない透明感で綴っていく。そこにこの作品の核はある。その意味で、ドラマは登場する事実を表層的に、いかにもドラマ的に描き出してしまったということだ。森作品がドラマ化に向かないとするならば、恐らくこの辺りの問題が原因だと思われる。というわけで、ドラマ『黒猫の三角』の感想をどうぞ。

 

 キャラクター

 瀬在丸紅子

檀玲さんを配役してやりたかったことはなんとなくなくはわかる。所々「あ、紅子っぽい」と思うところもあった。ただまあいかんせん、紅子といういかにも森博嗣らしいクールビューティ系のヒロインを実写でやるのは難しい。特に紅子はキャラが一定でないというある種の「揺らぎ」が魅力的なキャラである。クールかと思えば急に夢見る少女のようになったり、いきなり変なギャグを言ったり、それを表すのは土台無理がある。また彼女の「没落貴族」という設定も厄介だ。形の上では過去の栄光に縋りつくお嬢様に見えるのだが、紅子はそれを感じさせない超然とした雰囲気を持った人物だ。それをドラマはわりと正直に捉えていて、紅子が働かないニートみたいになっている。これでは紅子がダメ人間みたいである。いやある面では間違いなくダメ人間なのだが、それを思わせないのが大事でしょう。

 

保呂草潤平

まあ事件の真相等の兼ね合いから、なかなか捉えにくいキャラなのだが、ドラマのなかではかなり良いほうだ。ちょっとくたびれた感じも、らしいと思う。ただ終盤では変質狂みたいに描かれていたのが少し残念。異端者を異端者として描いちゃダメなんだよ、と。

 

小鳥遊練無

男の娘、という設定を実写でするのはある程度以上無理がある。千葉雄大は頑張っていた。しかし、背が高すぎませんか。しこさんより背が高いのは、流石に違和感があるぞ。女装頑張るんだったら、小柄設定も守ってほしかった。

 

香久山紫子

一番の変更点は関西弁じゃなくなったこと。実写でのリアルを追及したのだろうか、まあそれは一つの考え方だが、結果として紫子と練無の掛け合いがなくなったことは確かだ。原作におけるしこさんの乙女っぽいところがわりと強調されていた印象がある。どちらかといえば、そうイメージから離れているわけではなかったが、やっぱり身長はほしかったね。

 

かなり人間臭いキャラになっていた。いや、林さんは元から人間臭いのだが、紅子とは違う方向で超然としたところがあったのだが、それはなくなってしまった。キャラクターも元はもっと切れ者という感じだったのだが、三枚目の色合いが強くなったようだ。紅子との関係はもうちょい「官能的な」雰囲気を漂わせていたのだが、わりかしコミカルなトーンに変わっていた。

 

根来機千瑛

女装いいですよね。 


謎、トリック、オチ

これは気づいちゃうんじゃないだろうか。『黒猫の三角』のトリック、というより仕掛けは森ミステリィのなかでもトップクラスに好きなのだが、その魅力はとびぬけてシンプルなところにある。言ってしまえば、保呂草(秋野)の偽証一つ、勘の良いミステリィファンなら気づいてもおかしくない有名なトリックなのだ。

それを「S&Mシリーズ」を終えた次に始まる「Vシリーズ」の一作目でやったというところにこのトリックの肝はある。まさか新シリーズの一作目でまさか、という先入観を逆手に取ったところがすごいのだ。とすると、こうして単体のドラマでやっちゃうと、犯人を推測する際にその先入観があまり働かない。加えて映像であるため、その決定的なシーンで犯人が映っていないことがまるわかりである。これは別に叙述トリックではないが、映像化するとこういう困難もあるようだ。


まとめ

全体としては無難にまとめたといったところ。 「S&Mシリーズ」ほど舞台設定が凝っていないので、そういう意味ではドラマ化はしやすかったはずだ。一方キャラクターは前シリーズより明らかに濃く、現実離れした連中揃いなので、そこには苦労がみられる。やはり森博嗣作品は、ドラマというよりアニメ向きな気がするので、土台無理なところは多々あるのだが、最初にも述べたドロドロした雰囲気だけは可能ならなんとかしてほしいとは思う。やはりこれは森作品の根幹になってしまう。彼の作品を読んでサスペンスドラマを想像する人は、きっといないだろうから。