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「安芸倫也無能説」について

 どうも最近『冴えカノ』を観ていて驚くことがある。各所で見かける「安芸倫也無能説」である。これにはかなり面食らった。どのぐらい面食らったかといえば、「小木曽雪菜あざとい説」を聞いたときぐらい面食らった。知り合いの方とこの間話していて、「これアニメの描写じゃ倫也の印象変わるんじゃない?」と言われて、そうですかねえと返していたが、どうもこれは本当らしい。


 結論からいえば、『冴えない彼女の育てかた』の主人公であるところの安芸倫也は、非常にハイスペックな人間である。断じて本人が述べているところの「ただの消費型オタク」などではない。

 

 それを示す手がかりを拾ってみよう。まずは2話の恵と倫也の会話。恵の発言から、倫也が「図書館にラノベを入れる」、「学園祭でアニメ上映会を開催」していることがわかる。倫也というキャラの尋常でない行動力が窺える。倫也が自称するところの「普通のオタク」ならばここまでしない。事実、ラノベを入れるはともかく、学園祭での上映は相当もめたことが言及されている(これは原作のみ)。また、これはちょっとアニメにあったか怪しいが、豊ヶ崎学園はバイト禁止で、それを無理矢理押し通して倫也はバイトをしている。これも彼の強烈な情熱を示す傍証といえる。

 

 より端的な例は、詩羽の処女作「恋するメトロノーム」の売り上げに貢献した彼のブログ話だろう。一時は原作サイトよりも上に来たという彼のブログの熱意、一個人の努力が売上の底上げにまで繋がるという影響力。ここからも、彼のハイスペックさがわかる。

 

 このように、倫也は能力の高い人間であり、「どこにでもいる普通の~」的な主人公とは違う。だから、『冴えカノ』という作品も、決して倫也の描いた分不相応な理想に都合よく誰もが関わってくれているわけではない。むしろ、倫也でなければそのスタート地点にすら立てていないと言わねばならない。では、それでもなお倫也が無能とみる意見があるのはなぜだろう。


 一つには――そしてこれが最大の理由だろうが――前にも述べた『冴えカノ』初期の問題がある。つまり、初期は倫也のハイスペックさの説明があまり確立されていないのだ。基本、『冴えカノ』はゲーム制作の途中で降ってわいた難題を、倫也がその能力を駆使して解決していくある種の「解決劇」である。ただ、1巻に相当する3話までと、現在放送されている2巻相当のエピソードは、倫也の凄さがプロットレベルで伝わらない。次の夏コミ編ぐらいからわかりやすいのだが、ここではストーリーではなく、ばらまかれたヒントを拾うという手法でしか、それがわからない。そしてそれは圧倒的にアニメという媒体に向かないものである。


 もう一つは、『冴えカノ』がある種の「クリエイター讃歌」的作品であることと関係がある。この作品が「クリエイターとして成長する安芸倫也」という要素を持つことは間違いないだろう。「消費型」であった倫也が「プロデューサー」へと変貌していく。だから、この時期の倫也はその変化の途上にあり、悪戦苦闘する様が「無能」と映るというのはあるだろう。ただまあ先述のブログ話からも彼の能力は「消費」に寄りきっていないことはわかるので、この時点の彼を「無能」というのはあまりに一面的ではあるだろう(少なくとも彼の能力あればこそ、詩羽は倫也に惹かれているのだから)。

 

 と、まあこのように「倫也無能説」に反論してみたわけだが、TV放送だとわかりにくいという意見は厳然と存在する。今回に関してはそれは脇に置いて書いてみたが、いずれは考えねばならないだろう。あと、最新話における倫也が無能っぽく映るのは、『冴えカノ』1話に記事で書いた作品の根幹に関わる部分が焦点となってくるのだが、ちょっとネタバレになるので、次回に回すことにする。

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コメント: 1
  • #1

      (水曜日, 24 6月 2015 04:45)

    クリエイターとしては無能かもしれないけど、プロデューサー、ディレクターとしてはかなり有能ですよね。
    自分に出来ない仕事を他人に指図するというヘイトを集めやすい立場でありながら、嫌われるどころか好かれてる(ウザがられてはいるが)。羨ましい才能だぁ……。