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『冴えない彼女の育てかた』1話

 これは良い1話である。観終わったとき、素直にそう感じた。この話には『冴えカノ』の肝となる部分が明確に表れている。


 0話は完全なオリジナルであり、1話からは原作1巻相当の内容に入り、原作準拠のストーリーになるが、実は1話はほとんどオリジナルだったりする。原作に1話の内容、具体的にいえば、英梨々や詩羽との会話のシーンは存在しない。元々『冴えカノ』は、1巻、2巻あたりは丸戸氏自身がラノベ慣れしてないようで、あまり出来が良いとはいえない。アニメ化に際して、そのあたりなにかフォローを入れてくることは予想されたが、案の定1話から3話にかけて、原作1巻を大胆に再構成しており、また内容も格段によくなっている。では、なぜそのような再構成が必要だったか、そしてどのように再構成されたのだろうか。


 『冴えカノ』という作品はある意味酷く歪な作品だ。この作品は未来に目を向けながら過去を繰り返す。目的のための手段がひどく歪んでいるのだ。もう少し具体的にいうと、それは澤村・スペンサー・英梨々と霞ヶ丘詩羽というキャラクターに集約される。


 英梨々と詩羽は、言ってしまえば「終わってしまった」ヒロインである。ギャルゲーで特定のヒロインの個別ルートに入った後の別ヒロインといってもいい。英梨々が倫也とくっつく可能性は小学生のときの決別で途絶え、詩羽ルートは倫也が「霞ヶ丘詩羽と向き合う男」ではなく、「霞詩子のファン」であることを選んだときに途切れている(注1)。彼女たちと倫也の蜜月は過ぎ去ったもので、それが元に戻ることはもはやない。そして、そのことは英梨々と詩羽が一番よくわかっている。だから、彼女たちは倫也の申し出に「どうして今になって」とこぼす。


 そして、『冴えカノ』の核ともいえるのが、この「終わってしまった」の関係に対する彼女たちと倫也の認識の相違である。つまり、倫也は二人との関係が決定的に終わってしまっていることに気づいていない。一方では加藤恵という存在と「現在」の関係を結びながら、倫也は詩羽や英梨々との断絶を、「現在」直していけるものとして捉えている。だから彼は、「終わってしまった」二人を現在という土俵に引き上げるのだ。彼女たちの「どうして今になって」という言葉は、両サイドの認識の隔たりに対するいらだちでもあるはずだ。


 要するに、安芸倫也と澤村・スペンサー・英梨々、霞ヶ丘詩羽の関係は、どうしようもなく「過去」の関係だ。故に、倫也と二人との間で発生するイベントは、トラウマの解消という過去に根差したものばかりとなる。英梨々と詩羽は、「過去」に規定された自分たちの関係を深く理解しながら、倫也の熱意に押されてその関係を続けてしまう。倫也が、その歪さに気づくまで、彼女たちは何度も過去を繰り返す。倫也と彼女たちの間の温度差、歪な関係が『冴えカノ』という作品の大きな要素として作品を動かしていく。


 話を1話に戻そう。TVアニメ1話で大きく付け足されたのは、先述のように倫也が英梨々や詩羽と個別に交渉するシーンだ。これは、この作品が持つ「現在」と「過去」の隔たりを明確に提示している。彼女たちとの関係は既に終わっており、その上に無理やり現在の関係を築こうとする。この後の『冴えカノ』の核を、1話は鮮やかに示しているのだ。


 そして今まであまり触れなかったのが、メインヒロイン加藤恵の存在だ。彼女こそ、倫也が真に「現在」という時間で関係を結ぶ存在である(注2)。彼女の存在が、倫也をゲーム制作に駆り立て、クリエイターの夢に目覚めさせる。倫也と恵の関係は、英梨々や詩羽のそれとはまったく異なる。とりわけTVアニメは、恵に焦点を絞った造りをしているので、その対照性は際立つ。詩羽がよく「昔の女」や「今の女」と言っているが、これは一概に冗談で済まされないところがある。


 恐らく原作1巻のときは、作品の方向性がまだあまりはっきりしていなかったのだろう。しかし、6巻、7巻あたりの内容を見据えたとき、必然的に1巻の部分で直すべきところが出てくる。TVアニメ1話はそのあたりを見事に処理した、『冴えカノ』のリライト版ともいえるだろう。


(注1)『冴えカノ』はコミカライズで、英梨々ルートである『Egoistic lily』、詩羽ルートである『恋するメトロノーム』が存在する。それぞれ、倫也と彼女たちが一度決別した後の物語なので、これに則れば、TVアニメ1話の時点で二人のルートは途絶えていないといえる。しかし、ここではあくまで本編のみで捉えた場合の考えを採用している。


(注2)後に登場する波島出海、氷堂美智留も倫也が「現在」において関係を持つキャラクターである。