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『アイドルマスター シンデレラガールズ』第1話

 僕は『デレマス』に関してはずぶの素人である(別にふりとかではなく)。だからこの感想も、各種設定等に裏打ちされたものではないので、往年のファンからすれば不自然なところもあるだろうが、優しい目で見て頂ければと思う。

 

 第一話の主題となるのが「夢」であることは、恐らく間違いない。そして一話で登場する「夢」を求める者は、島村卯月と渋谷凛の二人だ。第一話は前半は卯月、後半は凛にスポットを当ててストーリーを進めている。

 

 島村卯月は夢に焦点を当てた作品という観点から見ると、「夢を既に持っている」キャラクターである。彼女にはアイドルになるという明確な目標、夢があり、そこに特に揺らぎはない。一話の前半はそんな卯月が拙いながらも奮闘する様が描かれている。そして、卯月にとって自分をお姫さまに変えてくれる魔法使いとなるのがプロデューサーであろう。彼の登場によって、卯月は夢への切符を掴んでいる。Bパートでも凛に対して、卯月は「プロデューサーが夢へのきっかけをくれた」という風に発言している。

 

 そしてもう一人の少女、渋谷凛についても、プロデューサーが魔法使いのポジションを果たしていることは間違いないが、彼女の場合少し事情が異なるだろう。もう一度「夢」という観点から凛というキャラを見ると、彼女は「確固とした夢のない」キャラクターである。漠然と夢中になれることを探してはいるが、それが卯月のように明確に形を成していない。その意味では卯月の前段階ともいえるだろう。凛はシンデレラでいうところの王子様願望が形になっていない状況なのだ。だから、彼女は度重なるプロデューサーのスカウトを突っぱねているし、プロデューサーという存在が「夢」への一歩を踏み出す最初の存在とはなり得ないのだ。

 

 凛にとって、アイドルに向けて踏み出す契機となるのは卯月の存在である。夢が見つからない彼女にとって、明確な夢を持つ卯月の存在は一際輝いて見える。だから凛は卯月を見て、彼女のようにすれば自分も夢中になれるもの、夢を見つけられるかもしれない、と考えるようになる。そう思い至ったとき、凛はスカウトを受け入れている。一話のラストで凛が「あんたが私のプロデューサー?」と尋ねるシーン。幾度となくPが渡している名刺に「プロデューサー」という文字が明記されていることを考えれば、ここでわざわざもう一度問う必要はないわけで、勿論事実確認のためのものではないだろう。言ってみれば、凛はここで初めてプロデューサーをプロデューサーと認識したのである。「夢」を見つけた状態でなければ、王子様願望が形にならなければ魔法使いは見えてはこないのだ。

 

 さて、ここまで考えたところで提起される疑問がある。それはこの作品が「夢」を叶えることをどう捉えているのか、つまり夢を叶えればそれでよいのか、夢を「自分で」叶えることに意味があるのかということだ。

 

 島村卯月は、一話の終盤で「ずっと待っていた」と表現している。彼女はアイドルになることを夢見、そしてそれはプロデューサーの到来によって叶えられた。当然そこに至るまでに彼女は相応の努力をしているだろうが、形だけみれば、自分が待っていたところに、他の人間が自分を引き上げてくれたことになる。そして渋谷凛は、同じように夢への切符を手に入れたが、第一話の段階で渋谷凛がアイドルになることは、彼女固有の夢とはいえない。彼女にとってのアイドルになることは、島村卯月の夢に同調することに自分の夢を託した「借り物の夢」なのだ。もしも、夢というものを自分で見つけ、自分の力で叶えていくものと捉えるならば、彼女たちがこの後、自分の夢を見直す局面が到来するだろう。

 

 シンデレラは、魔法使いに、ガラスの靴を履かせてもらい、王子さまとダンスを踊ることができる。しかし、その魔法は夜の12時で解けてしまう。彼女がもう一度王子さまと向かい合うとき、彼女は飾るもののなにもないただの少女に過ぎない。それでもシンデレラは、王子さまとの幸せを自力でつかみ取っている。ならば、「シンデレラ」をその名に冠するこの作品も、自分の力で「夢」を実現することこそを肯定するのではないだろうか。

 

 この手の「夢」を扱う作品は多くの場合、卯月のようなキャラクターに自身の夢への意識の更新を促し、凛のようなキャラクターに「借り物の夢」を通して真の夢を見つけることを促す。しかし仮にも「アイドル」をメインにした作品である以上、夢がアイドルからブレることはないだろう。であるならば、島村卯月が、引っ張ってもらうのではなく、自分自身の輝きでアイドルとして大成していく、渋谷凛であれば、アイドルであることに自分固有の意味を見出していく。ただ「アイドル」になって輝くのではなく、「アイドル」を通して自分が輝く。それを肯定する作品であってくれれば、個人的には嬉しいな、と思っている。

 

 第一話のサブタイトル「Who is in the pumpkin carriage?」は、直訳すれば「かぼちゃの馬車のなかにいるのは誰?」である。恐らく、馬車に乗った卯月と凛、そして次回本格登場の未央(出番が少ないのは、普通に二話の引きのためだと思う)が乗っていることを指している。夢へのスタート地点に立った彼女たちは、まずは魔法使いに助けられて、その一歩を踏み出していく。

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コメント: 1
  • #1

    FF5 (木曜日, 15 1月 2015 04:51)

    ”いい”考察だ、そしてそれはすでにどうしようもなく”終わった”考察だ。

    お願いシンデレラ、という楽曲を流した初期PVがある。
    https://www.youtube.com/watch?v=jqUVEDYiEWY
    そこで彼女たちは、12時を過ぎた時計で”シンデレラ”にお願いする。魔法が解けないように。
    夢は夢で終われないと。
    なぜ、彼女たちの歌は12時を過ぎてから始まるのか、これに関しては監督がすでに答えており、

    PVのコンセプトは”彼女たちのシンデレラストーリー”です。(中略) 魔法に”かけられた”女の子は大きく変身するけれど、時計が12時を指せば魔法は解けてしまう。でも女の子たちの中には、自分たちの持っている”本当の魔法”があるのではないかと。そして、今度は自分たちがその魔法をかける側になる……そんな女の子たちの物語というか。

    以上だ。

    繰り返し言おう。
    ”いい”考察だ、そしてそれはすでにどうしようもなく”終わった”考察だ。
    プロデューサーまで早く上ってくるといい。