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「救済」することの意味――プリキュア敵キャラの変遷

 『ハピネスチャージプリキュア』もクイーンミラージュ戦に雪崩れこみ、いよいよ終盤に差し掛かろうとしている。最終決戦の相手はディープミラーだろうからまだ先ではあるが、なんとなく終わりが見えてきた観がある。そこでふと思いついたので、歴代プリキュアの敵キャラの描かれ方について考えてみようと思う。

 

 最近のプリキュアはどうも戦闘がぬるいと感じるのは、戦闘描写を優しくしたこともさることながら、敵キャラが圧倒的に穏やかになったことにも大きな原因があるだろう。そう、かつての『プリキュア』の敵キャラは普通に怖かったのだ。『ふたりはプリキュア』の敵キャラトップバッターのピーサードは伝奇小説もかくやという不気味さで日常に忍び寄っていたし、『プリキュア5』のギリンマの初期もなにをしでかすかわからない印象があった。そんな怖いやつらを相手にしていたら、自然戦闘にも迫力が出ようというものだ。

 

 プリキュアの敵概念は作品ごとに様々変化があったが、一番大きな転換点は『フレッシュプリキュア』においてであろう。つまり敵キャラを消滅させないという展開を選んだことだ。『フレッシュ』の敵キャラであるイース、ウェスタ―やサウラーは見た目が完全に人間であり、特に怪物化もしないという点で、プリキュアたちと同じ地点にいた(注1)。この作品はここから発展して、たとえ敵キャラであっても無条件に叩きのめすことへの疑問、敵キャラであっても救われていいのではないか、という考えをプリキュアシリーズに提示した(注2)。その端的な発現が敵であったイースがキュアパッションとして転生するという展開だろう。また終盤においてウェスタ―やサウラーも転生し、プリキュアたちの味方となるという展開も、プリキュアにおける敵キャラ総撲滅の伝統を覆した(注3)画期的な試みだった。『フレッシュ』ではノーザやクラインはその性質上消滅し、敵キャラの救済というテーマは徹底されたわけではなかった。しかしその精神は後続の作品に受け継がれていき、『スイートプリキュア』というラスボスさえも救うという一つの極致に達していく(注4)。

 

 今まで一面的に「悪」とされてきた敵キャラに深みを与えたという点で、この試みは評価に値する。しかし、同時に敵キャラを殺さないという選択は、作劇上の大きな問題をもはらんでいた。つまり、敵キャラを交代させられないということだ。『ふたりはプリキュア』から『Yes! プリキュア5GOGO!』までは一定回数登場した敵キャラは、なんらかの形で組織から最後通牒を下され、決死の攻撃に挑み、消滅していった。そのため一定期間で敵キャラを補充していくことができ、それによって敵キャラの多様性を実現できた。比べてみればわかるが、かつてのプリキュアは今より断然敵キャラの数が多い。しかし、『フレッシュ』以降は敵キャラは消滅させることができず、最後まで居座ることになった。いる以上戦わなければならないわけで、敵キャラの交代が起こらなくなる。だから近年のプリキュアは敵キャラが少なく、大体三人前後+イレギュラーキャラ(ノーザやジョーカーなど)という形が採られる。

 

 そして、『プリキュア5』のギリンマやアラクネア、そしてなによりブンビーがそうであったように、最初不気味でおどろおどろしい雰囲気を纏って登場したキャラクターでも、何度も登場するとそう緊張感を持続できるわけがない。後になればなるほど、敵キャラはコミカルになっていく。初期五作はそれを敵キャラの消滅による交代で調整していたが、後半の作品はそれができない。今のプリキュアの敵キャラがコミカルなのは、一つにはここに原因がある。

 

 また敵キャラの決死の攻撃や敵キャラの交代は新たな展開を意味し、毎回繰り返される戦闘に起伏を作るという大きな役割を果たしていた。それができない『フレッシュ』以降の作品はどうしても毎回の戦闘が単調になりがちとなる。同じ敵キャラが一年間交代で攻めてくるだけなのだから当然だろう。そこで目がつけられたのがラスボスだ。『フレッシュ』以降のほとんど全ての作品で、ラスボスの正体に工夫が凝らされている。また当初ボスキャラと思われたキャラの後ろに真のボスキャラがいるという構成も何度も採られている。それは、手下の敵キャラで作り得ない起伏を、ボスによって補おうという意図もあるからだと思われる。事実、敵キャラを救いながらも、ボスキャラは倒されるといケースは非常に多い。


 また「追加プリキュア」が定着しだすのが『フレッシュ』以降なのも、決して偶然ではないだろう。新たな敵キャラの登場というドラマができない以上、今まで固定であったプリキュア側を動かし、新たなプリキュア登場というドラマを作りだす。作劇の点からいって、非常に自然な選択である。

 

 こう見ると敵キャラを殺さないことは、ストーリーの深みを考えても演出上の欠点があまりに目立つように見える。しかしそれを始めた『フレッシュ』は、そのあたりの欠点をきちんと考えていたのだ。だからこそ『フレッシュ』はイースをプリキュアにすることで敵のマンネリ化を防ぎつつ、「敵の救済」というテーマも描く、そうした綿密な計算がこの作品には存在していた。しかしどうも最近そのあたりを踏まえないで上っ面だけを踏襲しているらしく、「敵の救済」が本質的に抱える問題が表面化してきている。たとえば『ドキドキ!プリキュア』では、久々にリーヴァとグーラによって敵キャラの追加が行われた(注5)。しかし、彼らは途中であっさりベールに吸収されてしまう。結局最後はいつもの救済が起こり、イーラやマーモは救われるが、リーヴァたちは完全に黙殺される。ベールもネズミになるというよくわからない展開をし、どうも敵キャラを増やすことのメリットとデメリットをあまり把握していないようだ。それは『ハピネスチャージ』にもいえて、ナマケルダ、ホッシーワ、オレスキーの三人で回すことが決まっているのに、そこにストーリー上の工夫がなにもない。辛うじてファントムの存在で誤魔化せているが、イレギュラーキャラを当てにしているようではいけないだろう。

 

 「敵キャラ」を殺さない。それは尊重すべき選択だ。しかしそれによって発生する作劇上のデメリットを、過去の作品は必死に補う努力をしていた。それを忘れてその上に胡坐をかいた演出は、できるならばしてほしくないものだ。

 

 

(注1)『ふたりはプリキュア』のキリヤやポイズニーといったキャラは人間の姿であったが、『splash star』のダークフォールの面々(満、薫を除く)、『プリキュア5』のナイトメアのメンバーの変身後は、いかにも怪人然とした容姿であった。

 

(注2)『ふたりはプリキュア』のキリヤ、『splash star』における満、薫の改心、『5GoGo』におけるブンビーとスコルプの友情、最終的に死ななかったブンビーの存在等の要素が発展した形と言えるだろう。

 

(注3)『splash star』の満、薫や『プリキュア5』のブンビーは例外であるが、彼らは基本的に改心しプリキュアに協力したキャラであり、それを除くほぼすべてのキャラは消滅している。その苛烈さは『5GoGo』のスコルプの最期が端的に表している。

 

(注4)『スイート』はラスボスであるノイズの救済によって、敵を倒すというプリキュアの構造そのものを音吉に代表される旧世代の精神として否定した。このように、敵キャラの救済は本質的にプリキュアという存在に対する疑問を孕んでいるのだ。

 

(注5)『スマイルプリキュア』におけるジョーカーの参入は、最初からOP映像に示されていることから含めていない。

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コメント: 1
  • #1

    名無しさん (金曜日, 10 4月 2015 16:33)

    プリキュアを見せている層のことを考えると、倫理的な問題も絡んでくるのだろう。敵だからという理由でバッタバッタ倒していくのもどうかと思うし(彼女たちは本来は仕置き人ではない)
    手を貸してくれるようになるような展開があればそれは有効活用するべきだし、うまくいけば転生してやり直すことができるチャンスを与えてやるのも道理。時代とともに見ている人の顔ぶれが変わり、受け止め方も変わってきていると考えると、この問題とはどうしても向き合わなくてはならない。それはそれでいいのだが、解決するにはとても重く難しい問題なので、答えを出すのは今でなくてもいいと感じている