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『ハナヤマタ』最終回

 え、ええ最終回や……涙が止まらないよ。誰だ前の話でダスティン・ホフマンの話してたやつ。……まあそれはともあれ、いい感じにまとめた最終回だったと思います。バランスがいいよね。ちなみにきらら系アニメを最後まで観たのは『Aチャンネル』以来なので実に3年ちょっとぶりの快挙です。やったね。

 

 こういう遠くへ行っちゃう系のラストは大概あほみたいなオチか、ちょっとありえないだろうという解決なのですが、その点『ハナヤマタ』は違和感がなかったです。なぜかというと、ハナのよさこい参加できない問題の解決がそれほど難しくないからです。言ってしまえばその時だけ戻ることもできるわけです。ですから、本当の問題点は「いかに違和感なくハナを戻ってこさせるか」ではなく、「いかに違和感なくハナをアメリカへ行かせるか」にあったのでしょう。その点は先週話で解決しているわけですから、最終話としては辻褄合わせにあくせくせず、大団円の演出をしてればいいわけです。ストーリーに尺を割かず、よさこいをきちんと描けたのです。

 

 『ハナヤマタ』は各キャラの葛藤であるとか思いであるとかが多様に描かれてきましたが、テーマとして「関谷なるの成長」が中心として描かれてきました。最初なんのぱっとしない普通の子であったなるはハナに導かれてよさこいを始めています。この時はまだ誰かに引っ張ってもらう非力なキャラなのですが、回を追うにしたがってなる自身のキャラクター性、ひいては彼女の特異性が描かれていきます。3,4話の多美参加のエピソード以降、新メンバー加入には常になるの存在が欠かせないものとなります(若干真智はそれ以外の要素も多いですが)。その集大成と言えるのが最終話です。最終話において、多美が「本当になるちゃん変わったな、って」、ヤヤが「なんだか……キラキラしてる」と言っています。1話の時、なるは「自分もきらきら輝きたい」という意味のことを言っていました。なるの成長を表す象徴的なシーンですよね。

 

 さて個人的な話なのですが、こういう女の子5人ぐらいの青春を映して、成長を描く作品を観るたびに思い出すのが『Yes!プリキュア5』という作品です。僕自身は複数の女の子の群像劇の最高峰で、4,5人以上の女の子が中心の話は大体このアニメに還元できると思っているぐらいなんですが、それはともかく『ハナヤマタ』も最終回を迎えて改めて考えると、『プリキュア5』的なところが多いのかなと思います。

 

Yes!プリキュア5

シリーズディレクター:小村敏明

シリーズ構成:成田良美

キャラクターデザイン:川村敏江

放送:2007年~2008年

左から、秋元こまち(キュアミント)、夏木りん(キュアルージュ)、夢原のぞみ(キュアドリーム)、春日野うらら(キュアレモネード)、水無月かれん(キュアアクア)

 

 『プリキュア5』という作品は夢をテーマに、プリキュアそれぞれの夢の話、そして夢原のぞみが自分の夢を見つけるまでを描いた作品です(ちなみにここまでテーマ設定が明確なプリキュアは他にないです)。のぞみもまた関谷なると同じように取り柄のないキャラクターとして描かれています。ここで面白いのは、のぞみ以外のプリキュアの面が、りんはスポーツ万能、うららは女優志望、こまちは小説家志望、かれんは生徒会長、というようにそれぞれ自分の目標や特技がある学園の有名人なところです。のぞみは特技も目標もないキャラで、他の仲間とは正反対なのですが、彼女こそがプリキュアのリーダーなのです。のぞみを中心としてプリキュアは集まり、そして敵に立ち向かっていく。いつの間にか中心にいて、皆を引っ張っていくところに夢原のぞみの特異性はあったのです。

 

 この特異性の描かれ方という点で、関谷なると夢原のぞみは非常に似ています。まず最初の「取り柄がなく、目標がない」という点。そして「皆の中心である」と言う点(なるの場合がよさこい部で、のぞみの場合はプリキュアです)。2作品のリーダー論的側面はよく似た構図をとっているのです。

 

 ただここで一つ注目すべきは、『プリキュア5』は共同体の形成と発展二つの要因を夢原のぞみに還元していますが、『ハナヤマタ』は形成をハナ、発展をなるに分割しているのです。奇しくも最終話で多美が述べています。

 

「よさこい部を作ったのはハナちゃんだけど、こうやって私たちがここまで来れたのはなるちゃんのおかげかも」

 

ここが二つの作品の相違点であり、非常に興味深い点です。これはキャラの役割分担を見てもわかります。『ハナヤマタ』のキャラを『5』に当てはめた時、なるがのぞみとすると、幼馴染のヤヤがりん、ストイックな生徒会長真智がかれん(かれんも生徒会長です)、多美がこまち(かれんの親友です)とぴったり当てはまるのですが、ハナがうららか? というとすんなりとはいかない気もします。

 

 『ハナヤマタ』において起こっていることは、「のぞみとうららのキャラ性の移動」です。春日野うららというキャラは『5』のなかで最ものぞみに「引っ張ってもらう」という方向性が強いキャラクターです。『ハナヤマタ』初期は、ハナがなるを導くという構図があります。この時、ハナにはのぞみのキャラが、なるにはうららのキャラが付与されています。しかし、話が進むにつれてなるにのぞみの方向性が出始めます。そしてついに最終回においては、なるの行動によってハナがアメリカから舞い戻るという、1話と逆の構図が出来上がり、キャラ性も逆になったのです。つまり皆を引っ張るというのぞみのキャラがなるに、引っ張られるうららのキャラがハナに付与されたのです。

 

 このような奇妙な現象がなぜ起こるのか、それは先にも述べたように、のぞみの役割を二人に分けるという手法がとられているからです。『ハナヤマタ』がとったやり方の良い点は、仲間を増やすなかでヒロインの成長を描くという構成に、なるとハナの出会いというボーイミーツガールの要素を加えたところです。『5』の場合それを妖精のココという外部に作っているのですが、『ハナヤマタ』は内部の共同体にそれを組み込むことに成功したと言えます。これによって二つの作品は似た構図から出発して、明確に違うアプローチもしているのです。

 

 この作品は青春ものとしての出来がやはりよかったと思います。1テーマをぶれないで描けたというのが勝因でしょうか。この手のは尺が長すぎると不純物が入りますからね。OP映像に最後が同期するという心憎い展開もあり、文句なしの最終回でした。うーん、また観たいなぁ。

 

 

ただよかったというだけに比較まで持ち出す意味あったの?

最後だからカッコつけたかったのかもね。