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『東京喰種』最終話

 最近こういう展開する作品は随分減ったと思いますが、それでもたまに出てきますね。要するに、ストーリー上説明しなければいけない、描写しなければいけないことを放置して、別次元の話を解決して作品を終了させるという手法で、たぶん『新世紀エヴァンゲリオン』の25話、26話あたりが有名なんだと思います。最近だと『009 RE:CYBORG』もちょっとそんな感じがしました。細かい情報はさておき、少なくとも『エヴァ』影響で、個人の内面に重点を置いた作品がゼロ年代に溢れたのは事実でしょう。僕としてもこういう展開は大好きです。しかし、こういう展開をそういつもいつもしてもいいのかなとはいつも思っています。

 

 『エヴァ』(TV版のほうね、ヱヴァじゃないよ)の25話、26話は政府に攻撃されるネルフやネルフの面々、人類補完計画についてまったく描かず、碇シンジの内面を延々と描写するという展開が為されます。碇シンジが自分について悩みぬき、「ぼくはここにいてもいいんだ」となった時に『エヴァ』は終わります。しかし『エヴァ』は26話の冒頭でこう述べています。

 

時に西暦2016年 人々の失われたモノ すなわち、心の補完は続いていた
だが、その全てを記すにはあまりにも時間が足りない
よって今は、碇シンジという名の少年 彼の心の補完について語ることにする

 

 

『エヴァ』TVシリーズが最初からこのラストにしようと思っていたかどうかはともかく、単純な事実として残されたストーリーを逐一する時間はなかった、つまり尺が足らなかったのです。そういう意味では『エヴァ』終盤の展開は尺問題解決のウルトラCと言えるでしょう。ただ『エヴァ』の場合、この展開がある程度筋が通っていた(と僕は思ってます)ことと、なによりこういうのを大々的にやった最初の作品(だと思うのですが)だということで、評価されてるところがあると思います。

 

 そこで『東京喰種』なのですが、この作品も警察やあんていくの喰種たちと青桐の戦闘を前の話まで描いていましたが、最終回ではその顛末を語ることをまったくせずに金木の内面での葛藤とその後の覚醒、ジェイソンとの戦闘に主軸がシフトしています。薫香と絢都の戦闘や隻眼の王の話は丸無視されています。ここで少しこの展開の問題点を挙げてみましょう。

 

 まずは金木の内面の変化についてです。人間と喰種の狭間の存在として、11話まで金木は二つの存在の在り方、共存の可能性を問い続けてきました。そして自分に対しては自分の中の喰種に飲み込まれないことを誓ってきました。その結果として亜門とのバトルも成り立つのです。しかし12話での最終的な金木の結論は「傷つく側に甘んじることは捨てる強さがないだけであり、皆を守るためには傷つけることも辞さない覚悟がいる」であり、金木は利世の喰種の力を受け入れています。僕は『東京喰種』の原作を読んでいません。ですので、この先どういう展開になるのか分からない状態で言いますが、これは11話までの金木の姿勢の全否定になります。金木の弱さを克服した、清濁両方を取り込むといえば聞こえはいいですが、金木の真摯な姿勢として受け取られてきたことも無意味になってしまいます。主人公の考え方の変化というのは作品のなかでしばしば起こります。今までの考えを踏まえ、それを昇華する形で新たな考えに至るというならわかるのですが、今までを否定する新概念を最に打ち出してなんのフォローもないのは少し問題でしょう。

 

 もう一つは至極単純なこと。伏線張りすぎましたね。全体のストーリーとしてやるべきことが残っている、というのはまあいいのですが、キャラ個人個人で描かれねばならないことが多いです。たとえば薫香と絢都の姉弟関係、たとえば真戸と隻眼の王の関係。ストーリーを全体と個人に分離させるなら、こういう個人レベルのストーリーのやり残しはまずいですね。そもそも『東京喰種』はそれほど金木個人の内面を突出して描いた作品ではないと思うので、金木一人の個人ストーリーに持っていくというのは土台無理がある話ではありますよね。

 

 二つほど問題点を挙げてみましたが、これらの解決法は簡単。2期をはやくすればいいのです。それである程度不透明な感じは解消されるでしょう。先ほども言いましたが、僕はこういう展開は好きです。そういう作品で溢れていた時期を経験したというのもあるんでしょうが、内面をやたら描く作品にはどうも目がないようです。しかしそれを客観的に手放しで褒めるというのもなにか違う気がします。間違っても『東京喰種』は2期やらなくても意味が通るような作品ではないでしょう。その辺が非常に難しいところですね。

 

 最終回なので全体の感想も書いておきます。夏アニメでも最も熱狂したアニメの一つでした。伝奇色が強い作品は最近あんまりなかった気がするのでうれしかったですね。規制入ったのは残念でしたが。キャラの私服とかもとても凝っていて、細部も頑張ってるんだなぁと思いつつ観てました。

 

 この作品は〝狂った〟キャラクターが多く登場しますが、狂気の描写は若干雑だった気もします。月山あたりは、あからさまにイカれた行動をしたり、奇矯な発言をしたりと動的な狂気描写が目立ちましたが、あまり背景が感じられず今一つな気がしました。最終回あたりのジェイソンの拷問も、派手ではあったのですが、醜悪にしようしようという意図がありありで、ちょっと辛かったです。よかったのは真戸と雛実の話あたりです。親と子の関係、人間と喰種の関係、追う者と追われる者の関係、全てが綺麗に描かれていました。『東京喰種』は喰種の実存ネタもそうですが、静的な狂気描写が優れていた印象がありました。

 

 『東京喰種』はやってほしいことをやってくれるアニメでした。ここ最近(?)の伝奇アニメのピークは2008年だと思ってますが(『喰霊 零』と『かんなぎ』と『空の境界』があったんだぜ)、また盛り返してほしいですね。こういう作品がもっと増えるといいんだけどなぁ。続きはやくやらないかなと今から思ってます。

 

 補足

 この間知り合いが最終話の金木とジェイソンの会話のシーンを「あれは完全に『脳コメ』でしょう」と言っていて、人それぞれで感じることって違うんだなぁと。確かに選択に重きを置いてはいましたよね。そこに注目するとそういうことになるのか、と。

 

 

 

そんなに褒めてるのに、なんで批判書いてるの?

いやそれは趣味と立場があってですね……