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『グラスリップ』12話

 久々に頭使うアニメですね(こういう言い方していいのかな)。正直前半から中盤にかけてのだれがすごかったので、適当に観てしまってたところがあったのですが、ここで急にガンガン考察とかされるタイプのアニメになってきたので、慌てております。録画リストから消してなかった後半を見返しながら、考えてみたことをつらつら書いてみようと思います。きちんと考察されている方に申し訳ないぐらい拙いですが、おつきあいください。

 

 『グラスリップ』が最近やたらにややこしいことになっている大きな原因は沖倉駆の語りにあると思います。当初作品内において深水透子たち5人は関係が完成されていて、駆は完全に外部の存在でした。その外の人間である駆から透子は「未来の欠片」についての説明を受けます。もともと『グラスリップ』は透子視点が他のキャラの視点と比べて優位性を確保していない作品なので、駆のキャラを見たとき視聴者は彼をメタ的視点にいるものと思い、彼の発言を客観的事実と考えてしまう気がします。しかし後半になるにつれて、どうも沖倉駆というキャラはメタ的視点にいるわけではなく、立ち位置としては透子たちと同等であるということがわかってきます。それと並行して、彼が言っていた「未来の欠片」というのはどうやら未来を示しているのではないようだ、ということもわかってきます。この転換は作品の枠組みを大きく変えるものです。したがって我々は「未来が見えちゃうんだ~どうしよう~」というぬるいアプローチを捨て去らねばならないわけです。ここからは「未来の欠片」ってなんなの? と考えたいと思います。

 

 作品後半における透子の未来視発動の主なタイミングは、「やなぎとの会話中に見た幸と祐が病室にいる場面」、「海辺で去っていくやなぎの姿」、「落下する駆」、「夏に降る雪」、そして12話のパラレルワールドです。未来視が発現するそれぞれの場面の共通点はなんでしょうか。たとえば海辺でやなぎが去っていくシーンで「お似合いのカップルね」というやなぎが視えるという場面は、やなぎが駆へ「雪がかっこ悪くなったのはあなたのせい」と言った直後の出来事です。展望台で落下する駆を視る場面は、駆が「人と違う力を持つ者同士以上の関係になれたか?」と問うたあとに起こります。雪のシーンは、駆が未来視をやなぎたちに話そうと言った直後に起こり、パラレルワールドは駆が町を離れるかもしれないと発言した直後に発生します。これらの共通項を考えるために、12話のパラレルワールドを考える必要があります。

 

 12話における透子の「未来の欠片」で発生するパラレルワールドは、場面が夏から冬に変わり、駆と透子に位置が逆転しています。駆はやなぎや雪哉たちと関係を築き、そこに透子がやってくるという形です。しかし六人の関係が駆と透子を入れ替えてあとは全く同じかというとそうではありません。もう一つの世界では雪哉が透子に好意を向けることは当然なく、幸が透子に好意を向けることも当然ありません。二人の宙に浮いた好意が駆に向けられているかというとそんなこともなく、積極的描写こそありませんが、この世界では『グラスリップ』の前半で描かれた複雑な恋愛模様は存在しないのでしょう。この世界における五人の関係は透子という異物が登場しても、恐らく壊れることはありません。つまり透子ではなく駆が現実世界での透子の位置にいたならば、現在進行している五人の関係の変化は起こらなかったのです。

 

 ※注意:ここから米澤穂信『ボトルネック』のネタをわります。未読の方はネタバレここまでのところまで飛ばしてください。

 

 

 これと似たことを描いている作品に米澤穂信の『ボトルネック』という作品があります。2006年に発表された作品で、個人的には米澤穂信の作品のハッピーエンドで誤魔化さない残酷さみたいなものを一番シンプルかつ効果的な手法で示した作品だと思います。主人公嵯峨野リョウが突然自分のいる世界とよく似た自分の存在しない別の世界に飛ばされ、そこで嵯峨野サキと名乗る少女に出会う。彼女はリョウの世界で生まれなかった嵯峨野家の長女に相当し、彼女がリョウの代わりに世界に存在していたのだ。物語が進むにつれて、リョウはこの世界ではリョウがいた世界で上手くいかなかったあらゆることが良い方向に進んでいることに気づき始める。そしてそれは、現実世界にサキではなくリョウが存在していることが原因だったという事実に彼は直面する。――自分こそがあらゆることに障害となる〝ボトルネック〟だったのだ。そこに気づいたところでこの小説は幕を閉じます。

 

ネタバレここまで

 

 『グラスリップ』12話の世界はこれと非常に似ていると思います。透子がいる世界では、透子を含めた五人の関係は良好ながら、内部に壊れる要素を含んでいます。一方透子のいない世界では駆を含めた五人の関係は崩壊の要素を持たず安定しています。そしてその世界では透子が登場した途端、五人が一緒に花火大会に行くというイベントが成立しなくなります。透子は基本的に〝変化〟という方向性を持ったキャラクターなのではないでしょうか。だからこそ花火大会に集合した面々(これは幻影ですが)に認識されないのではないかと思います。彼女こそが『グラスリップ』におけるボトルネックなのです。そして世界から疎外され、居場所の欠如を発見した時に透子が感じるもの、それが「唐突な当たり前の孤独」です。

 

 「唐突な当たり前の孤独」は10話において定義された駆の基礎を成すメンタリティです。これは度重なる転校生活の中で居場所を見出すことができなかった駆が形成した精神で、その具現化があの残像拳なんだと思います、たぶん(スタンドかよ)。それと並行して駆もまた「未来の欠片」が聞こえるという力を持っていましたが、『グラスリップ』後半になると彼はその力を失いはじめます。その原因はなんなのか。思うに、それは彼が深水透子という居場所を見つけたことと深く関係があるのではないでしょうか。彼の力は「唐突な当たり前の孤独」と連動するものであり、それを感じている間は「未来の欠片」を聴くことができる、逆にいえば居場所を見つけてしまえばもう力を行使することができないのです。

 

 そう考えると透子の場合にも「未来の欠片」の発現に「唐突な当たり前の孤独」が密接に関わっているのではと推測できます。上で書いた「未来の欠片」が発動する場面、これらの共通項は「透子の周りの環境が変動する」ということです。先ほど例として挙げながら無視した透子が幸と祐が二人でいる場面を幻視した場面はこの考えに則ると、幸と祐の二人の関係が進展するのは結果的に五人という関係の崩壊を促すのではないか、とみることができます。つまり、透子の能力は未来を視るというものではなく、「唐突な当たり前の孤独」に反応して発現する防衛反応のようなものと言えるのかもしれません。駆が登場してから、透子の力の発現が活発になるのは、駆という存在が彼女の周囲の環境に劇的な変化を与えているからです。そしていつもの五人に居場所を見いだせなくなった透子は無意識に駆に居場所を求めており、駆が外国にいくかもしれないとなった時にその居場所もなくなり、最大の「未来の欠片」が発現した。そう考えられないでしょうか。

 

 もう一つの世界に確固とした居場所がないことを理解した〝ボトルネック〟たる深水透子。彼女が現実世界において居場所を再確認したとき、物語は終わるのでしょう。あと少しで最終回。どうなるのか楽しみです。

 


 補足

 とても面白い展開なのですが、P.A.WORKSがこれをする意味ってあるのかという問題は確かにあります。先入観をひっくり返すという意味はあるんでしょうが。あと1話でこれを畳めるか、いやそもそも論理的な解決を用意しているのか、実はかなり怪しいですが、そこはそれ期待して待ちます。

 

私は今の世界にとっての敵。春になってもまだ世界に冷たさを運ぶ、四月に降る雪                                                                                  ――――――――上遠野浩平(ブギーポップ・リターンズ VSイマジネーターPart1)