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『グラスリップ』第一話

 P.A.WORKS制作のオリジナルアニメ最新作です。P.Aのオリジナルは根強い人気を誇っていて、地域密着型のアニメとしても有名ですよね。『グラスリップ』の舞台は福井県。今クールの期待作として挙げる人も多いんじゃないでしょうか。かく言う僕も『True Tears』やら『花咲くいろは』やらを夢中で見ていたクチです。

 そして先日ついに『グラスリップ』の第一話が放送されました。どのアニメの一話にもそれは言えるんでしょうが、P.A作品の一話はとりわけ気が抜けない。基本的に一話で作品の魅力を作画やら演出やらドッと見せて、初っ端からグイグイ引っ張るのがP.Aのお家芸という感じがします。『CANNAN『Another』『TARI TARI』あたりはすごくそれを感じました。だからクールが始まった時の期待感がすごいんですよね、P.Aは。また逆に一話からの始まる前半の勢いを後半から最終話にかけて保てないという欠点がP.Aのオリジナル作にはある気がします。というわけで嫌でも一話の期待は高まるわけですが……

 『グラスリップ』第一話は予想に違わず、いかにもP.Aらしい展開でしたね。地域色を全面に押し出した背景や、風景描写の際の光の加減、安定した作画、青春群像劇とくれば往年のP.Aファン納得といったところでしょうか。相変わらず一話の密度がすごい。ただここで思ったのは、他作品に比べて相当P.A色がかなり意識的に演出されていないかなということです。

 一話を観ての意見としては『グラスリップ』は非常にラディカルな作品だと考えてます。つまり過去作から形成されてきたP.A色を極限まで推し進め、またP.A的コンテクストを多分に利用した作品だということです。

 まず一つ目から行きましょう。P.A.WORKSの作品(特にオリジナル)のイメージとして、

  ・作画が綺麗

  ・シリアス描写も多い青春もの

の二つがあると思います。『グラスリップ』はそれを推し進めた形で提示していると思います。まず作画ですが、P.Aの作品は地域色を出すための背景やOP映像、キャラクターの造形……と挙げだすときりがないですが、かなりのこだわりを見せてきました。当然視聴者側も「今度はどうするのか」と期待しているわけです。そこで『グラスリップ』で為された演出は「止め絵」でした。冒頭のお祭りのシーンが特に印象的ですが、P.Aの作画スキルをフルに使って、画面を一枚の絵画のように見せて地域色やら季節性を演出していました。ちょっと芸術作品めいた演出ですよね。止め絵はしばしば手抜きに思われますが(発祥がそもそもそうだし、実際その場合が多い)、この話でそう思った人は少ないんじゃないでしょうか。画面の美麗さを推し進めれば、最後は動いていなくともよい。この手の演出はここに行き着くのかと思うとちょっと感慨深いですね。

 続いて青春劇としてですが、全体的に〝点〟的な演出が多い気がします。またしてもお祭りのラムネを飲むシーンなんかがそうですね。一定のエピソードを割いて透子とやなぎと雪哉の三角関係を示さず、目線による瞬間的な演出で一気にわからせていました。祐→幸の感情も目線でしたね。これを観るとファンは「お、三角関係か?」「またドロドロ展開?」となるわけです。

 ここで青春劇の話題からの繋がりでP.A的コンテクストに移ろうと思います。『グラスリップ』はちょこちょこ過去作を思わせるものがあります。すぐに思いつくのはキャスト陣でしょう。これは別に本作に限ったことではないんですが、P.Aの別作品から続投組が何人か。早見沙織さんや島﨑信長さん、茅野愛衣さん種田梨沙さんあたりがそうですね。特に早見さんと信長さんは『TARI TARI』の紗羽と大智なわけですから印象的ですよね(キャラの構図も似てるし)。他の要素としてはニワトリでしょうか。たぶんこれは『True Tears』のオマージュなんだと思います。監督も同じだしね。また一話全体が非常にP.Aっぽい(言語化しづらい)という話は先述の通りです。ここまで述べてきたのは別にP.Aファントークがしたいわけではなく、これら全てからなる「P.Aらしさ」が第一話を支えていると思うからです。

 第一話は観ているとストーリーに明確な軸がない。各キャラの紹介、設定の説明など導入部としての制約が多いというのもあるでしょうが、それを貫くメインの部分が希薄であるとは言えるでしょう。理由としては、

 ・キャラが多い

 ・深水透子が絶対的な視点人物たり得ていない

でしょうか。物語に占める割合が等価のキャラが六人、それも常時いるのは明らかに多いです。そのため本作ではキャラ名を文字にして出す手法(ここでも止め絵が利用される)を採っていました。全員を紹介していく以上展開が揺れるのは致し方ないでしょう。また透子が視点人物として弱いというのも原因でしょう。僕は最初沖倉駆が視点人物だと思っていたのですが、どうも違ったで、恐らく透子が視点人物でダビデこと駆君はかなり謎の多い人物になってました。おそらくこれは意図的にやっていることで、群像劇スタイルを目指しているのでしょうが、結果的にストーリーにまとまりがない。振り返ってみてニワトリの世話に奮闘していたぐらいのストーリーぐらいしかない。群像劇スタイルを普段P.Aがやっていないかというとそんなことはなく、他作品でもその要素は強いのですが、やはり透子に明確な方向性が見えないことが問題でしょう。例えば『いろは』一話での緒花の環境変化、『TARI TARI』一話における和奏のトラウマ。これがあったことでこの二作は一話でも明確なストーリーを刻めたのです。

 ここで面白いのが振り返って考えるとあまりまとまりがないのに、観ている時はそれほど感じないということです。じゃあバラバラのストーリーを何が繋いでいるのか。それがさっき述べた「P.Aらしさ」です。いきなりニワトリのシーンが始まっても「じべたー!!(True Tearsのニワトリ)」と感動したり、キャストのなにやらに過去作を思いかえしたり、点的な演出は説明が少ないですが、「P.Aならこうするだろ」という僕たちの予想によって補完されます。総じて第一話は視聴者側が持っているイメージを利用した造りになっているように思いますね。

 これは二年ほど前『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を観た時「これはヱヴァだからみんな観てくれるんだな」「ヱヴァほどのネームバリューがあるからできる展開だな」と感心した記憶があります。押井守監督が『ヱヴァQ』について「観る者の感情移入でそれらが補完されてヒットを生んでいる」と発言されていますが、そこまで大袈裟じゃないにしても、その手のことが『グラスリップ』にも起きてるんじゃないかなぁと思います(きっとそんなこと気にしなくても観られるでしょうが……)。そう思うとP.Aのブランド力もここまで来たのかと考えされられますよね。

 さて長くなりましたが、そろそろまとめを。今までの作品を踏まえたかなり斬新な造りをしている本作。人間関係をこれからどう動かすのかとても楽しみです。とりわけ沖倉駆君が謎すぎるので、上手いことしてほしいところですね。P.Aの宿命、中盤以降だれる展開を乗り越えられるか。変わらず期待大な作品です。